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英語de軍事『四字熟語』 VOL.23

山本賢山本賢こんにちは、山本賢です。今回は、         

 

◎ 『元日本兵達が創った中国空軍』誕生秘話。

The activation of Liberation of Chinese Army-Air Force was conducted by Imperial Japanese Army’s pilot and mechanics. This is the origin of international cooperation of Japan.

中国人民解放軍空軍設立は、毛沢東の彼岸であり、旧日本軍のパイロットと整備兵の技術支援により実現した。これは、国際貢献の元祖でもある。 

 9月3日、中国の抗日戦争勝利70周年記念軍事パレードが天安門広場で行われた。このパレードには、ソ連のプーチン大統領や韓国の朴大統領や藩国連事務総長も招かれ、日本国政府の意に反して出席した。これまで日本は、米国に次ぐUNDP予算を拠出して来たが、抗議の意味を込めて、今年度に限り10%カットすると良い。このパレードの主役の中国やロシアは、殆ど出していない。小額で雀の涙程度である。但し、旗だけは、米国も日本も同じである。

  この過激な意見、私だけの意見では、国際貢献の大御所、伊勢崎健二教授の意見でもある。この教授のご指導を受け、発足まもない頃、多くのJMASの要員は、園部宏明国際監視団IOG団長以下、元自衛官のOBで、老骨に、ムチ打って国際貢献貢献して来たのです。ソ連軍から分捕ったり、豊富な麻薬資金で購入した近代兵器を装備した軍閥の武装解除には、兵器の知識が必要不可欠です。JMASのアフガニタン担当コーディネターの山本賢のいうことであり、間違いはない。

国連UNDP支援国『国旗』CMAC玄関にて

国連UNDP支援国『国旗』CMAC玄関にて

 そして、この抗日戦争勝利70周記念日には、江沢民前首相も出席していた。この中国空軍の最新の戦闘機が北京の秋空に編隊飛行している画像が公開され、全世界に発信され公開された。

 不肖、山本賢は、ソ連の軍事パレードが赤の広場で行われる都度、NHKや民法のカメラマンが撮影したフィルムの『テロップ』:字幕で兵器の名称や諸元到の説明をしたことを思い出した。NHKからはチョッとした記念品を、民放TV局からは、放送局の食堂で昼食をご馳走になった事を懐かしく思った。テレビで活躍するタレントをキョロキョロ見たことを、今でも覚えている。

 不肖、山本賢は、目下、中国や台湾等を含めた、Access社インターネット広告の評価をしていますが、『祝抗日戦争勝利バーゲン・セール』のインターネット・広告があったものの、その数は、極端に少なかった。私の目に止まったのは、『商城;商店街』の大売出し広告1件だけであった。この軍事パレードを見て『乱舞喚起』する中国国民は、皆無であった。

捏造だらけの抗日戦争勝利を中国政府の発表を国民は、覚めた目で見ていたのである。

 

 もともと、中国は、『好鉄不針』【ハウ ティ プゥタアティン】良い鉄は釘にはならないし、『好男不当兵』【ハウ ラン プゥタンピン】良い男は兵隊にならないというお国柄で、日本の『花は、桜。人は、武士』とは異なるお国柄です。

毛沢東主席習近平主席の挙手の敬礼 70年前この種のパレードを毛沢東首相が実施した時には、住民は『ヲーメンデフェーチーライラ』;「我々の飛行機が飛んで来た!」と『狂喜乱舞』した。不肖山本は、70年前の、この時、避難民として中国にいた。

 統裁する『習近平首相』中国の純国産高級車『紅旗』に乗って表れた。何とこのお車の型式形状は、式典に参加予定で、体調を崩し、参加を中止した村山元総理大臣が現役であった頃と同一であった。、これ以降、何の変化も見られず、そのお値段が、何と1億5千万円だとテレビで、おもちゃのミニカー・モデルと共に報道された。国営工業の非能率ぶりは、驚きであった。

そして、習近平主席が、『紅旗』上で、左手で『挙手の敬礼』をしたことに、びっくり仰天した。『挙手の敬礼』は、例え、左利きの隊員であっても、右手でするものである。

不肖山本は、『反省と謝罪』大好きな社会党の村山富市総理の頃、中央資料隊技術科で軍用車両の担当していた。この時に、『紅旗』の本〔中国語〕を翻訳したことがあった。村山総理が、中央資料隊に視察来た時の事を思い出した。

 この中国の威信をかけて開発した第一汽車【自動車】の高級車『紅旗』は、今回の軍事パレードに登場した最新兵器と異なり、その後40年間、全然、進歩をしていない。この習近平首相の乗った中国産の高級車『紅旗』には、万一、故障して動かなくなった場合に備えて、空の予備車まで準備していた。

 

防衛大学校のパレード  この抗日戦争勝利の一糸乱れぬパレードを見て私は、防衛大学学生の時、毎日、毎日、国旗掲揚と朝礼終了後、教場まで。各班ごと、行進したことを思い出した。そして、神宮外苑で実施される、自衛隊中央式典のパレードの予行練習の事を思い出した。授業が終わった後で、桑江良輔大隊指導官〔陸士55期〕の下で、執銃行進予行訓練を日が落ちるまで実施させられたことも思い出した。

 沖縄復帰直後のことである。不肖、山本は、桑江第一混成団長のお供をして、真夏に、米海兵隊司令官交代式に出席したことがあった。司令官交代式には、訓示の後でパレード行進が行われる。その帰りに、団長車の中で、・・・・「山本!『米海兵隊をとう思うか?』と言うご下問があった。山本答えて曰く『精鋭だと思います!』と。理由は、筋骨隆々の海兵隊員と取っ組み合いの喧嘩になったら勝ち目がないと、かねがね思っていたからです。『バカモン!米海兵隊員よりも、お前の方が『精鋭である!この暑いのにお前は、全然汗をかいていない。汗をかくのは弱兵の証拠だ!』と。この歴戦の勇士桑江団長、南方戦線での経験から、汗をかく兵隊は、水をよく飲む、従って『アメーバ赤痢となり、戦力とならなかった』と。

 不肖、山本賢は、満州の荒野で育ったため、日本の小川の水のように、飲むことは出来ない環境で育ったので、水をガブ飲みする習慣がないのである。防衛大での行軍では、隊装検査が終わると、すかさず水筒の水を捨てた。この行為を桑江大隊指導見つけられ怒られた。山本学生曰く『明朝まで、水をのまないから不要ですので、捨てました!』と言った瞬間怒られた。『バカモン!この水筒の水は、お前が飲むための水ではない!お前の部下が飲むための水だと!』と言われた。

 不肖、山本は、満州国のハルピンで生まれ、終戦後、ソ満国境から、命からがら、避難民として引き揚げて来た時のことを思い出して、この中国の抗日戦勝記念軍事パレードを見て思い出した。

日本軍は、『日ソ不可侵条約』を突然破棄したソ連軍に関東軍が敗れたのであり、中国共産党軍の前身の毛沢東主席の率いる『八路軍』【パーロ】第八方面軍『国共合作軍に敗れたわけでありません。この八路軍は、日本軍を見つけると即、『三十六計逃げるに如かず』とばかり、『雲散霧消』するのであった。また人民から物品を強奪することで有名な部隊でもあった。そして毛沢東は、針一本でも人民から盗むなと命令するように成りました。

 

毛沢東軍は、日本の陸軍士官学校で学び、二等兵で高田連隊に隊付き教育を受けた経験のある、蒋介石軍とも戦っていたのである。この戦いに『馬賊』と『匪賊』が加わった。、まさに四ッ巴の戦争です。関東軍が、ソ連軍に武装解除された途端、治安が悪化した。元もと、中国は、治安が悪く、関東軍と満州国警察の力で治安が保たれていた。『苛斂誅求』の政治である。

 不肖、山本賢が鉄嶺の満人尋常小学校に登校する際には、警察処の前にある『さらし首』が展示されていた。『一罰百戒』の戒めである。上級生の命令一下、このさらし首に石をぶ警察所前の晒首つけて登校したものだった。この警察署の隣には、大きな『阿片窟』があった。この満州国の満人警察処長は、汚職と武器の横流しで、警察所の牢屋に入れられ、日本人の副所長が指揮を取っていた。当時は、国府軍と八路軍と馬賊や匪賊が『群雄割拠』の状態であった。この中国の汚職腐敗体質、’戦後70年、中国の共産党の中で蔓延し、未だ健在である。

旧日本軍の兵士の中には、生活の為進んで国府軍に入った者も大勢いたし、無論八路軍に入った者もいた。

中には、少年兵になった者もいた。源川特務曹長のご自慢の息子さんは、毛沢東の腹心の部下の周恩来副首相の少年兵(伝令)となった。何と、この少年、後ほど、防大#1生となり、7師団長をしていた。私が、日高弾薬支処長をしていた頃、源川さんは、精鋭第7師団長弾薬補給をしていた。仮に、防大#1期の源川さんが、周恩来副首相要請に応じて中国の解放軍人民解放軍に残っていれば、多分人民解放軍の総司令官になつたに相違ない。

作家・山崎豊子のデストセラーの『大地の子』の隆一心は、源川さんになっていたかも知れません。主人公、細部については、山本賢の『孫子の兵法』【中国語・日本語・英語】版;Even monkey can understand Mr. YAMAMOTO’s Sun Tzu’s The Art of War (財) 自衛隊援護協会 661頁を参照して頂ければ幸いです。

山本賢の孫子の兵法は、良い本です。『自画自賛』

山本賢の孫子の兵法は、良い本です。『自画自賛』

 ある時、国府軍と八路軍が戦闘しているのを大勢の日本人達は、『お手並み拝見』とばかり、草原の中の丘の上で、見学していた。さしずめ、全学連と機動隊の戦いを一般観衆が見学する感じである。この時、国府軍【国民政府軍】の戦闘機が飛来し、戦局が一気に急変した。ところがである、この戦闘機が被弾し、黒い煙を出し、戦線離脱した。これまで守勢で、『三十六計』戦術を旨とするの八路軍が、急遽、戦闘機の方向に全員走って行ったことを今でも鮮明に覚えている。

この抗日戦争勝利70週記念日の式典には、ロシアのプーチン大統領も招待され、参加しました。プーチン大統領ニンマリ。これでソ連の違法性『日ソ不可侵条約』を一方的に破棄した事が消えたと。日本軍は、毛沢東の率いる『八路軍』や、蒋介石が率いる『国府軍』に負けたのではありません。ソ連軍の機甲部隊に敗れたのです。アメリカが広島に原爆投下した直後、『日ソ不可侵条約』を一方的に破棄し、『時期到来』とばかり、ソ満国境に怒涛の如き勢いで攻めてきたのです。そして、ソ連軍に降伏、武器弾薬は、全てすべソ連軍ろ獲されたのです。無論、化学弾もです。このことを外務省のお役人に言っても信じて村得ませんでした。英語de軍事『四字熟語』Vol.21参照

そして、ソ連軍は、共産主義を共に墓標する、軍閥に毛の生えた程度の、毛沢東軍に、ソ連軍に不必要な、日本軍の武器・弾薬を、与えたのです。自由主義を墓標する蒋介石軍には、日本軍の武器・弾薬を渡しませんでした。これで、つまり、毛沢東軍は、日本軍の武器で、蒋介石軍を撃破し、台湾に閉じ込めたのです。

そして、『ヤポンスキー、ダモイ!』ー日本人の皆様帰国ですよ!ーと騙され、兵隊さんや一般の人もシベリアに抑留され、重労働をさせられたのです。

中国人民解放軍空軍の祝賀飛行

Untold history of foundation of the Liberation of Chinese Army-Air Force.:

After surrender of Japan Imperial Army to Soviet Army, Chinese National Force and Paro force 【八路軍】 which commanded by Mao Tse-tung 【毛沢東】.

Japanese solder lost master as Emperor become beggar like status, foods did not issue from no issue. To survive Japanese people must find the Job and must to work and get food and living expense.

At that time Liberation Army does not have an Air Force. To construction of Air Force is long cherished wish of Mao Tse-turng

So Mao Tse-tun decided ask to invite Japanese war prisoner whose name is Maj.Yaichro HAYASHI【林弥一郎】and refugee who once pilot and also mechanics of air plane with good working conditions and polite invitation. As same methods as Emperor Riyubi scouted in Spring and Autumn military adviser Shokatukoumei. Chinese and Japanese both are Oriental. My intentions will be understand without fail…

Paro force condition as follows;

1st : Do not treat as war prisoner, because flight training is very danger so need strict training discipline by Japanese instructor pilot and instructor mechanics.

2nd : Admit Japanese Life style for Instructor pilot and Instructor mechanic maintain in good condition to secure a safety.

3rd : Guarantee the family life of pilot and mechanics because to support the construction of China Air Force long term project.

All of Japanese proposal was admitted with thee times visit and negotiations to Instructor pilot

October 1, 1949. Mao Zedong declares the foundation of the People’s Republic of China and the activation of Liberation of Chinese Army-Air Force with full of confidence and fly over the Beijing. Chinese people cry for joy.

 

中国人民解放軍空軍設立秘話 日本人の知られざる歴史:Untold secret history of the Activation of Chinese Liberation Army Air Force.

 現在の中国空軍の創立は、林弥一郎陸軍少佐と名もなき日本兵の航空機整備員である『輜重輸卒』の技術指導で誕生したことを知る日本国民は、殆どいない。無論、若い中国国民も知らない。

 昨今、「国際貢献」なる用語が自衛隊に於いても認知され、訓練が行われているものの、この事実を知っている者は、殆どいない。とても悲しいことである。このブログを書いている時、国際貢献の質的向上と我が国の安全保障の強化の法案が深夜通過した。

早速、Google画像検索を利用して、左のような写真を作らせて頂きました。

 不肖、山本賢は、防衛庁国際企画課からJICAに派遣され、更に、JICAの長期専門家として、カンボジア地雷除去センターに車両の整備員の技術教育に4年間、勤務した。この時の防衛庁長官は、今の中谷元防衛大臣であった。

少々、話しは、脱線しましたが、 このような経験から、「国際貢献」の原点は、日本軍捕虜のパイロットと整備員の技術移転であったと思っております。

 

因みに、私のCMAC(カンボジア地雷除去センター)での勤務の前任者は、陸上自衛隊輸送科職種の島田賢太郎〔写真中央〕さ第1回カンボジア視察 101 (2)んでした。彼は、『私は、陸上自衛隊ですので、車で物を運んだり、人を口車に載せるのが、大変お上手ですと。

 彼は、現役自衛官の時、国会議員の佐藤正久さんと同じくゴラン高原で国際貢献に汗を流して来た男であり、不肖、山本賢私を含め、黄色の法衣を纏った土井和尚を含め、この三名は、ともに『輜重輸卒』である。

 そういえは、国会議員の佐藤正久さんも人をヨイショと持ち上げることがとても上手である。一昨年、同期の二見宣さんが幹事長の時、同期生会にお髭の隊長こと佐藤正久さんにお話をして頂いた。そのお話が上手なこと、上手なこと、美ttクリしました。

 不肖、山本賢のバックにある新車のピックアップ・トラックは、80両程度あり、日本から送られて来たものであり、シャヌクビル港に受領行った帰り道である。このバイパス道路も日本の支援で造られた。梯体車両行進は、前任者の島田賢太郎さんの教育成果でもある。

 毛沢東の指揮する「八路軍」は、本来ゲリラから出発したために航空機を保有していなかった。この名前も、国共合作の下に生まれた名前であって、『第八軍団』を意味する。毛沢東は、軍の近代化を進める上で、何としても航空機を装備したかった。毛沢東にとって、八路軍が航空機を持つことは、彼岸であった。

 当時は、日本兵は、ソ連軍に武装解除され、『ダモイ;帰国させるから』と騙され、ソ連に連れられて、シベリア行って、強制労働させられた。中には、国府軍に入る者、八路軍に入る者、馬賊や匪賊になる者もいた。皆、生き延びて日本に帰るたであった。まさに、『三国誌』”Three Kingdoms”や『水滸伝』”All men are brothers”の世界で生き延びて行った。この様なことで、不肖、山本賢は,『三国誌』や『水滸伝』が大好きである。

 幸い、中国大陸には、旧日本軍の武装解除により入手した多数の隼戦闘機を始めとして、遺棄航空機が山ほどあった。しかしながら、どれも故障し使用できる状態ではなかった。悲しいかな、八路軍には、航空機を操縦するパイロットもいなければ、機体を整備する整備員もいなかった。

梯隊を組んで行進する 中国には、もともと皇帝や諸侯が、軍の教育や訓練の指導し、戦の際には、軍の運用の助言を求める軍師を「三顧之礼」で迎える伝統がある。毛沢東は、この伝統に従い、日本軍捕虜を利用して、空軍を創立しようと考えた。日本人の捕虜に、八路軍のパイロットと整備員の教育をさせることにした。「三顧之礼」を持ってすれば、彼らは、「嫌!」とは言わないはずだ。褐目すべきは、毛沢東が、軍師に相応しい人材として「帝国陸軍の陸大卒」を入れなかったことである。「政権は、銃口より生まれる」という毛沢東は、ゲリラ戦を重視した。「決心攻撃矢は左!」「独断専行」を旨とする陸大の勇ましい戦術教育は、ものの役に立たないことを熟知していたのであった。がパイロットと整備員は違うと。そして、日本軍の名もなきパイロットと航空機整備員が、八路軍に「三顧之礼」で迎えられた。

 八路軍には、日本軍のような階級制度はなく、また「『上位下達』や上官の命令に対する『絶対服従』の概念もなく、元日本兵にとっては、驚きの連続であり、あたかも天国のように感じられた。それに処遇も悪くはない。一般の八路軍兵士よりも若干良い。日本人のパイロットや整備兵を最も感激したのは、毛沢東の言った『以徳報怨』【イーダパオユエン】「徳をもって恨みに報いる」言葉であった。最近の習近平首相の言動からすると、この『四字熟語』を知らないようである。捕虜の身分である日本人教官は、街で買ってきた「ポーミー・マントウ【トウモロコシの粉で造つた饅頭】を学生達にも分け与えた。「いじめ」や「しごき」を訓練の一環としていた旧帝国陸軍公認の習慣は、ここには、存在しない。そしてここでは「雪隠饅頭」をする必要もない。

 顧問となったパイロットと整備員は、中国兵の教育を開始した。中国語は分らなくとも「知識」と「技能」があれば、航空機の操縦訓練は、出来るし、航空機の整備教育も出来る。終戦で目標を失った日本人整備兵は、八路軍に航空機整備教官として迎えられ、尊敬され、航空機整備の人材育成教育を全て任された。旧日本軍の整備教官達は、この毛沢東の処遇にいたく感激し、人を教育する使命感に燃え、朝早くから夜遅くまで文字通り寝食を忘れて、「全身全霊」を持って、整備員の教育を開始した。

 帝国陸軍時代には、何かにつけて、如何にしてサボるかを腐心していたのとは、今は違う。使命感あふれる職場であった。がしかし、この場合、教育法の教育を受けたことのない、彼らにとって、中国人に対する技術教育には、どのような教育法を取るのが最適であるかが分らなかった。そして得た結論は「雀の学校」であった。これなら成功すること間違いなし。反復訓練、技術実習あるのみ。

♪♪ チイチイ パッパ チイ パッパ

♪♪ 雀の学校の先生は、「鞭【無知】」を振り 振り チー パッパ

♪♪ 生徒の雀は、輪になって

♪♪ お口をそろえてチー パッパ

♪♪ まだまだいけないチー パッパ

♪♪ も一度いっしょにチー パッパ

♪♪ も一つオマケニ チー パッパ

♪♪ 「毛さん」のためにも チー パッパ

♪♪ 「周さん」のためにも チー パッパ

♪♪ チー チー パッパ チー パッパ・・・・・・・・・と日本人航空機整備教官殿 絶好調  作詞作曲;二見宣 防衛大学校ブラスバンド部長

 かつて日本軍航空隊で戦闘機整備をしていた頃には、整備兵は「輜重輸卒が、兵ならば、蝶々やトンボも鳥のうち。電信柱に花が咲く」と小馬鹿にされ、蔑まれ、虫けら同然に取り扱われて来た。そして古参兵の憂さ晴らしの一環としての私的制裁も多々受けた。日常茶飯事である。整備兵たちは、「如何にしたら古参兵に殴られずに済むか?如何にしたら「鉄拳制裁」を受けることなく、要領よく仕事をサボることが出来るか」日夜、その対策に腐心した。

 日本人のパイロットも整備員も八路軍の学生も共に、蒋介石の指揮する「国府軍」の脅威の下、泥水をすすり、草をはみ、ある時は、零下40度、暖房も無い、教場で、またある時は、砂塵逆巻く乾燥しきった灼熱の太陽の下、光輝く中国空軍の創立を夢見て頑張った。

 日課の操縦教育や整備教育を終え、日本人教官達は、宿舎に帰り、ほっと一息つく。満蒙の大草原の地平線にゆっくりと沈んでいく「真っ赤な夕日」を見つめ思わず涙した。

 思い起こすのは、故郷こと「♪♪・・・夕空はれて、秋風吹き、・・・・故郷の父母、如何におわす・♪♪・・・・・」。冷えた、味の無い高粱飯【コーリャンめし】を望郷の思いで、涙と共に食べるのを常としていた。「九連隊の新兵教育で食べた『雪隠饅頭』が何と美味しかったことか・・。

 ある時、整備教育中に、中国の少年整備兵が、燃料注入中に、火災事故が起きたことがあった。整備教官がこの少年を救助したものの、整備教官は、長年着用して来た分厚い綿入り防寒副に航空機ガソリンが染込んでいたことも、これあり、瞬く間に火達磨となってしまった。いつの日か、故郷の日本に帰ることを夢見つつ火傷で殉職してしまった。さぞ無念であったに相違ない。

 そしてこの整備教官の英雄的行為に敬意を払い、八路軍は、牡丹江に「故 国際友人之墓」という石碑を建てた。そして、操縦訓練や整備教育を開始してから4年が過ぎた。

 1949101日午後のことである。毛沢東は、日本に留学をしたことのある周恩来の薦めもこれあり、日本の学生服を基礎にデザインされたとされる緑色の国民服に身を包み天安門の二階に姿を現らわした。そして30万人の大群衆を前に、国内外に向かって「本日、中華人民共和国が建国された」と声高らかマイクに向かって宣言した。中国3千年の歴史の中で、初めて支那に、王朝でなく真の「国家」なるものが出来た瞬間である。

 毛沢東の長年の彼岸であった中国空軍機の編隊飛行の展示が中国人の手で挙行された。その瞬間、天安門広場には、嵐のような大歓声が沸き起こった。

 解放軍兵士達は、口々に「我們的飛机来了!」=ウオメン フェチー ライラ!=「我々の飛行機が飛んで来た!」と『狂喜乱舞』した。日本人のパイロットと整備教官、中国の整備員が、互いに抱き合い小躍りして喜んだ。中国国軍機10機が編隊飛行で中国の大空に羽ばたいた瞬間でもあった。そして同時に、毛沢東主席の名前を全世界に知らしめた。「面目躍如」と言ったところだ。そしてこの日が「国慶節」となり国民的な祝日となった。

 八路軍により「三顧之礼」で迎えられた日本人のパイロットと整備員の4年間の筆舌に尽くしがたい努力が見事、報われた瞬間でもあった。男子の本懐ここにあり。大満足!

 この話には、こんな後日談がある。日本人のパイロットや整備員から教育を受けた卒業生は、中国国軍の首脳部となった。そして中には、後に、朝鮮戦争で8機の米軍機を撃墜した人民解放軍北京軍管区劉空軍司令官もいた。そして「一級英雄模範褒章」、日本流にいうと『金鵄勲章』をもらった「撃墜王」の誕生である。

毛沢東主席は、四字熟語が大好きである。毛沢東のゲリラ戦術を計16文字からなる四字熟語で部下に示し、実行させ、関東軍を攻撃し、国府軍を撃退し台湾に追いやった。

敵進我退 “Enemy advance, we retreat” (敵が進めば、我は退く)

敵駐我攪  “Enemy stay, we disturb”   (敵が止まれば、我は攪乱する)

敵疲我打 “Enemy tired, we attack”   (敵が疲れれば、我は攻撃する)

敵退我追 “Enemy retreat, we pursue” (敵が退けば、我は追撃する)

この他の毛沢東の創った四字熟語に『土豪劣紳』と『造反有理』があります。

 

 不肖山本は、元日本陸軍航空機整備兵と同じ熱き思いで、『カンボジアの地雷処理センターCMACの車両整備員約15名に対して車両整備教育を実施して来たので、紹介させて頂きます。

同時期、JICAの長期IT技術専門家藤本誠さんの支援を受けて、日本の自動車メーカが製作した車両整備員教育用ビデオをクメール語に翻訳した後に、CMACの声の美しい女子事務員に吹き替えたCDを使用して、TV整備教育をしてきました。このCDの凄いところは、パソコンを使用して、ダヴィングが出来とあって、カンボジア国内の整備員にも普及した。このダビングCD、日本の自動車メーカのロゴ・マークが入っており、自動車メカーの広告にもなっているとおもいます。この他、藤本誠しには、CMACの地雷原表示用大地図製作機器を応用して『大型チャート』を使用して、整備員教育を実施して来ました。

CDを使用した教育整備ビデオ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

教育整備

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また、JICAの長期IT技術専門家の藤本誠や彼の教え子の支援を受けて、バー・コードシステムを利用した在庫管理システムをカンボジア地雷除去センターCMACに構築してまいりまsた。

バーコドを活用した倉庫の在庫管理

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この整備員教育実施時に、面白いお話を聞いたので、日本の皆様にご紹介致します。

 

 

日本人の知らない、中国の二枚舌外恋

72式A型中国製対人地雷72式B 中国のポルポト政権支援や大量の対人地雷支援〔カンボジアのお米と中国の地雷との物々交換支援〕これにより、カンボジア人の食べるお米がなくなり、餓死者が出た。ポルポトの彼岸であった、重農共産主義国家建設の為、ダムや灌漑水路建設支援を申し出た者の中国解放軍工兵部隊には、陸上自衛隊の部外工事よるような技術能力を持って居なかった。彼らは、得意の『人海戦術』でダムや灌漑水路を建設した。これが為、大勢の餓死が出た。更にポルポトの大量殺戮の関与扇動に対して中国の責任を問われると、中国の江沢民前主席は、何と『過去の歴史にこだわることなく、将来の事を考えることが両国に取ってとても大切です』とカンボジア国民を諭したそうです。まさに名言である。日本国民は、この様なことを知らない。

因みに、中国の72式対人地雷Bは、テキサス・インスツルメンツ社のLSI〔大規模集積回路〕を使用し、最も除去がむずかいい対人地雷です△の安全ピン。これに対し、対人地雷A型(丸い安全ピン)は、普通の対人地雷です。安全ピンを抜くと識別不能となります。因みに、この72式地雷Type-Bの地雷設計にあたっては、日本の電気釜の吹きこぼれ防止機構を参照にしたとのことです。日本の電気炊飯器は、傾けると電源スイッチが切れる様になってる技術を、72式Type-Bは、チョットでも傾けるとスイッチが入る様に設計されているのです。このために、その場爆破する以外に除去する方法は、ありません。写真参照。1 Ochamlorg vill Ta sen  comm Kamreang dist   DU2  (2)

カンボジアは、中国の手先となった、ポルポト ゲリラとソ連やベトナムが支援する政府政府軍が、猿蟹合戦ならぬ、中ソ地雷敷設合戦をカンボジア国内で実施していたのです。

この時のことです、中国が、突如ベトナムに対して、国境を超えて、ハノイに向かって攻撃をしました。これを『中越戦争』と言います。ベトナム戦では、中国は、ベトナムを支援していたのですが、1979年には、突如、中国・ベトナム国境を超え、攻め入ったのです。これを中越戦争といいます。侵攻中国軍は、またたく間にドンたんを占領し、首都ハノイに攻め入りました。がしかし、『百戦錬磨』のベトナム軍、進行した中国軍をコテンパーにやつけて撃破してしまいました。大国中国のメンツが丸つぶれした戦争でした。チャンコロ軍は弱いという噂が経ちました。そしてベトナムは、報復として『華僑』を国内から追放しました。追放された華僑は、かわいそうにボート・ピープルとなってしまった。不肖、山本賢は,この時、陸上自衛隊の中央資料隊の技術科に勤務し、中越戦争の情報を収集していた。この時の戦訓を基に中国軍は、臥薪嘗胆、一挙に近代化路線爆進し、今日に至りました。

最近、ベトナムに地雷・不発弾調査行った際、ベトナム戦争と中越戦争で戦死した兵士のお墓をお参りして来ました。

戦死者に献花

日本国大使の整備工場視察不肖、山本賢の技術移転するカウンターパートの輸送幹部のサラさんも潅木除去機整備主任のブンテンさんも、中央整備工場長のスーさんもソ連の工科大学を卒業しています。工場長のスーさんは、何とソ連のロストフ輸送大学車両整備工学科で9年間学んだとのことである。

 

この地雷原の地図は、陸上自衛隊でもお馴染みの縮尺1/25000を片手にCMACの隊員の現地偵察デターを基に、JIICAの長期専門家の藤本誠さんのIT技術を駆使して製作された地雷汚染図です。無論各州の地雷汚染図もあります。

 

 

 

保有国地雷 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  この原稿を書き終わった本日未明、安保法案が可決した。この法案通過に情熱を傾けた、安倍晋三総理も中谷元防衛大臣もお髭の隊長佐藤正彦議員も共に、防大同期の二見宣男さんの立ち上げた日本安全保障学会JSSCの特別顧問や顧問である。二見さんも喜んでいるに相違ない。

 不肖、山本賢は、JICAの長期専門家としてカンボジアのカンボジア地雷除去センターCMACのLogistic Support;兵站支援【車両の整備員教育を含む】や日本地雷除去活動を支援する会JMASでアフガニスタン担当コオディネーターをして来きましたが。これで、やっと、諸外国並に身の安全を民間のガードマンや軍の警備兵に守られて、お仕事を出来るとおもいました。

 

16072元中谷佐藤正久16073 『安全保障と危機管理』に興味のある方は、下記のホーム・ページをクリックすることをお薦め致します。

http://www.jssc.gr.jp

戦艦三笠艦上

戦艦三笠艦上

 

 

 

 

 

 

 

JICAの立ち入り禁止地域での車輌整備や潅木除去機の整備には必要である

JICAの立ち入り禁止地域での車輌整備や潅木除去機の整備には必要である

 

 

 

 

立ち入り禁止地域に入るには警備員が必要不可欠である。

国境地帯等のJICAの定めた、中央政府の権限の及ばない立ち入り禁止地域に入るには、警備員が必要不可欠である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アフガニスタンの軍閥が保持していた踊るべきソ連製兵器の数々;

 平和な国に育った日本の国に育った皆さんは、軍閥と言っても、満州で生活した日本人以外は、ピンと来ませんので、最近のアフガニスタンの事例で、軍閥の凄さを説明ささていただきます。日本地雷処理を支援する会JAMASの園部明宏さん以下大勢の定年退職した自衛官が一致協力して、国際監視団IOG(International Observer Group )に入り、老骨に鞭打って財閥の武装解除に協力してまいりました。そしてアフガニスタンの軍閥部族長と素手で武装解除の交渉にあたったのが、上述した伊勢崎健二さんです。このような一連の行動を国際貢献用語でDDRと言います。Disarmament, Demobilization and Reintegrationの略語で、兵士や軍閥『武装解除』『動員解除』及び『社会復帰』プログラムのことです。

 この園部宏明さんが、IOG International Observer Group 国際監視団団長を下番直後、カンボジアのバッタンバンで会いました。園部さん、開口一番、『山本賢さんが現役の時に制作した兵器写真識別集がとても役二に立ちましたと元陸上自衛隊の施設学校長の園田さんからお褒めの言葉を頂戴した。

この写真識別集は、元軍閥の国府軍と八路軍軍や匪賊と馬賊の争いの戦訓から生まれたものです。

そして曰く『カンボジアでは、若い女性が、肌をあらわに町を闊歩していますが、アフガニスタンでは、街で女性を見かけることはありません。しかし、治安は、良くありません。昨夜、携帯電話を盗まれてしまいまた。ウカツであった!と。

終戦直後、我々、日本人の子供達は、学校もなく、生きる為、八路軍と国府軍の戦闘中、じゃがいも拾い(農家のじゃがいも収穫た後の落穂ひろいならぬ『おいも拾い』)や馬糞拾い(床暖房オンドルの暖房燃料)や石炭泥棒(石炭輸送する馬車に飛び乗り石炭一個を頂戴する)等をしていました。この様な、戦闘間、銃の発射音識別能力が必要不可欠であることを体得したのです。生活の知恵です。

ところが今の自衛官には、このように、戦場の銃の発射音を識別して、彼我の識別をしたり、銃の識別を能力は、全然ありません。そこで、ソ連軍の銃の音、中国軍の銃の音、北朝鮮軍の銃の音を陸上自衛官にテープと拡声器を応用して戦場体験訓練する音響教材を連隊レベル使用する音響教材を提案しましたが、見事、却下されました。そして、その代わりとして、対抗部隊、甲乙丙の写真識別集を連隊レベルに配布し、対抗部隊の兵器識別教育することに相成った。

ところがである。この時、社会党の村山富一郎総理の時代、『特定の国を指定して訓練教材は、宜しくない・・・・・』と、そしてこの写真識別集には、アメリカやイギリスやフランスの兵器付け加えられました。以下、アフガニスタンでの武装解除兵器を示す。これらの軍閥の持っていた兵器は、ソ連軍から奪ったものや、アヘンを売って得たものです。軍閥等からこの様な兵器を取り上げるのは、お金出して買うか、空爆か戦闘で撃破するしかありません。

ソ連製主力戦車

 

 

自走ロケット覚えておこう『四字熟語』:

 

一罰百戒  【 いちばつひゃくかい 】

One exemplary sever punishment equivalent one hundred times oral admonishments. Punishment for one person sever equal effect for one hundred oral admonishment.

「一罰」 means “One punishment” 

「百戒」 means “One hundred oral admonishment”

 一人の人間を厳しく処罰することは、百回もの口頭での「戒め」や「口頭での注意」と同じ効果がある。

 

狂喜乱舞  【 きょうきらんぶ 】

Lots of people assemble together and crazy dancing wildly with full of joy.

「狂喜」 means “Crazy dancing with full of joy” 

「乱舞」 means “Dancing wildly ”

 大喜びして、非常に喜んで

 

三顧之礼  【 さんこのれい 】

In case of hire able person such as able military adviser etc. needs three times superior courtesy call or visits to military adviser house by one-self and/or dispatching his high ranking officials three times.

「三顧」 means “Tree times visit”

「之」 means “of” 

「礼」 means “Bow”

 目上の人が礼を尽くして軍師や人材を迎え入れること。事例;諸葛亮を軍師として迎えるため、三回家に訪問した。

More detail comment : Emperor Riyubi 【劉備】 of China want to have able and good military adviser whose name was Shokatukoumei 【諸葛孔明】. Emperor Riyubi ordered his men to visit Shokatukoumei residence three times with good condition. Shokatukomei accepted the proposal, because China’s etiquette is two times request turn down allowable but three time request must be accept. Because of three times request rejection very impolite.

  

多連装ロケット砲三十六計  【 さんじゅうろっけい 】

Run away tactics is the best tactics of all 36 tactics. He who chose this running away tactics is to prepare fighting for another day. It is better to have “Wings for run away” than to have “Horns to fighting against enemy” 

「三十六」 means “Thirty six”

「計」 means “Plot” 

 

 目『三十六策、走ぐるを上計(策)と為す』即ち、非常時や、勝ち目が無いのであれば、戦術は、逃げるが勝ち!36回の退却は、残りの日の為に備えるためである。戦う為の『角』より、逃げる為の『翼』の方が良い。

 

上意下達  【 じょういかたつ 】

Original meaning is lord intention and order deliver to subordinate. Deliver the order or instructions of leader from top to their subordinates. The intentions and orders are pas down from the top to down, so call “Top-down system”

「上意」 means “Top’s intention”

「下達」 means “To reach lower class” 

 上位部の命令や指示や意図を下位の者に伝え、徹底すること。

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随喜之涙  【 ずいきのなみだ 】

Shed lot of tears with joys, it is almost weeping by seeing or hearing of good conducts, which is the same tears believer taught by Buddhist doctrine at Temple.

「随喜」 means “Become believer shed full of tears with joy ”

「之」 means “of” 

「涙」 means “Tear”

 有難い仏の教えを聞いて、感動し、喜びの余り、出す涙のこと。

 

雪隠饅頭  【 せつちんまんじゅう 】

“Eating a sweet cake in toilet alone” which mean to do something for own private interest or profit hiding ordinary bulling people eyes.

「雪陰」 means “Inside toilet” 

「饅頭」 means “Sweet cake”

 いじめ防止の為に、便所でこっそりと隠れて饅頭を食べる。人に隠れて、こっそりと自分だけ良い思いをすること。

BMP装甲歩兵戦戦闘車 

造反有理  【 ぞうはんゆうり 】

“Making a rebellion have a reasonable reason. Person against the Establishment and land owner has reason. This is the slogan of Red army phrase by the speech of Mao-Tse-tung in China.

「造反」 means “Making a rebellion ” 

「有理」 means “Has a reason”

 体制に反抗することは、それなりに理由がある。

 

土豪劣紳  【 どごうれっし 】

“Big landowner collusion with corrupted bureaucrat exploit the people property at will. Disgraceful dirty gentleman who collaborate with government official, and make a big fortune.  

「土豪」 means “Big landowner” 

「劣士」 means “Dirty gentleman”

 官僚と結託して人民の財産等を搾取する地方の残酷な大地主や資本家のこと。

 

スカッド・ミサイル面目躍如  【 めんぼくやくじょ 】

Prestige and honor are approved by the public and then gets good reputation by friends and people. Public prestige and reputation and dignity are very good.

「面目」 means “Prestige and honor” 

「躍如」 means “Vividly with alive ”

 世間から受ける評判や対面が、いかにも、その人らしく、もっともなことであると感じられる、言動に表れること。世間の評価にふさわしい挙動。

 

輜重輸卒  【 しちょうゆそつ 】

Logistician of Imperial Army whose mission is repair weapons and transport goods.  

「輜重」 means “Logistician and mechanics ” 

「輸卒」 means “Transportation soldiers”

 旧陸軍の兵站支援要員。特に、車両の整備や、輸送科職種の隊員。

 

面目躍如  【 めんもくやくじょ 】      

Prestige and honor are approved by the public and then gets good reputation by friends and people. To keep public prestige and reputation and dignity are very good.

ANA「面目」 means “ Prestige and honor ”

「躍如」 means “ Vividly with alive ”

 世間から受ける評判や対面が、いかにも、その人らしく、もっともなことであると感じられ、言動にも表れること。世間の評価にふさわしい挙動。

 

自画自賛  【 じがじさん 】            

“My painted picture is the best of all pictures in the world” That is “Blow one’s own horn or trumpet” which mean “Every potter praises his own pot” The original meaning come from “Draw-up picture and comments on it by other commentator, but later years write comment on it by painter themselves. This picture is very good”

「自画」 means “ Picture painted myself ”

「自賛」 means “ Prize one-self ”

 人が褒めてくれる前に、自分で、自分を褒め称えること。本来の意味は、その昔、『絵を書く絵師』とその絵に『コメントを描く作業』は、別々の人が行っていました。それが、絵師一人で字も書くことになった。

 

 

 

 

JMASの西元会長、アフガニスタンの新国防軍Afghanistan National Army 【ANA】の視察及びワルダック国防相を表敬訪問。

カンボジア軍シン中佐 

このDDR作戦には、カンボジア王国軍情報部のリアサイ・シン大佐も参加した。( 山本賢 の手前の若者 )シン中佐は、陸上自衛隊のAGSの卒業生でもあり、入校間の身元保証人は、JMASの土井義尚理事長であった。AGS卒業後は、大佐に昇任JMASに所属すると共に、国際監視団IOG;International Obsever Groupの一員として、大活躍。

このシン中佐は、戦車中隊長としてソ連製戦車に乗り、ポルポト軍を撃破した経歴の持ち主でもある。

 

 

 

 

 

 

 

 シン大佐がアフガニスタンで園部さんの右腕として活躍した後、カンボジア陸軍は、南スダンに国際貢献専門部隊を、日本に先駆けて(2年前)派遣した。

 

 

ソ連製主力戦車T54/55

いざ南スーダンへ、元気溌剌。

いざ南スーダンへ、元気溌剌。

 

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