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英語de軍事『四字熟語』 VOL.23

こんにちは、山本賢です。今回は、         

 

◎ 『元日本兵達が創った中国空軍』誕生秘話。

The activation of Liberation of Chinese Army-Air Force was conducted by Imperial Japanese Army’s pilot and mechanics. This is the origin of international cooperation of Japan.

中国人民解放軍空軍設立は、毛沢東の彼岸であり、旧日本軍のパイロットと整備兵の技術支援により実現した。これは、国際貢献の元祖でもある。 

 9月3日、中国の抗日戦争勝利70周年記念軍事パレードが天安門広場で行われた。このパレードには、ソ連のプーチン大統領や韓国の朴大統領や藩国連事務総長も招かれ、日本国政府の意に反して出席した。これまで日本は、米国に次ぐUNDP予算を拠出して来たが、抗議の意味を込めて、今年度に限り10%カットすると良い。このパレードの主役の中国やロシアは、殆ど出していない。小額で雀の涙程度である。但し、旗だけは、米国も日本も同じである。

  この過激な意見、私だけの意見では、国際貢献の大御所、伊勢崎健二教授の意見でもある。この教授のご指導を受け、発足まもない頃、多くのJMASの要員は、園部宏明国際監視団IOG団長以下、元自衛官のOBで、老骨に、ムチ打って国際貢献貢献して来たのです。ソ連軍から分捕ったり、豊富な麻薬資金で購入した近代兵器を装備した軍閥の武装解除には、兵器の知識が必要不可欠です。JMASのアフガニタン担当コーディネターの山本賢のいうことであり、間違いはない。

国連UNDP支援国『国旗』CMAC玄関にて

 そして、この抗日戦争勝利70周記念日には、江沢民前首相も出席していた。この中国空軍の最新の戦闘機が北京の秋空に編隊飛行している画像が公開され、全世界に発信され公開された。

 不肖、山本賢は、ソ連の軍事パレードが赤の広場で行われる都度、NHKや民法のカメラマンが撮影したフィルムの『テロップ』:字幕で兵器の名称や諸元到の説明をしたことを思い出した。NHKからはチョッとした記念品を、民放TV局からは、放送局の食堂で昼食をご馳走になった事を懐かしく思った。テレビで活躍するタレントをキョロキョロ見たことを、今でも覚えている。

 不肖、山本賢は、目下、中国や台湾等を含めた、Access社インターネット広告の評価をしていますが、『祝抗日戦争勝利バーゲン・セール』のインターネット・広告があったものの、その数は、極端に少なかった。私の目に止まったのは、『商城;商店街』の大売出し広告1件だけであった。この軍事パレードを見て『乱舞喚起』する中国国民は、皆無であった。

捏造だらけの抗日戦争勝利を中国政府の発表を国民は、覚めた目で見ていたのである。

 

 もともと、中国は、『好鉄不針』【ハウ ティ プゥタアティン】良い鉄は釘にはならないし、『好男不当兵』【ハウ ラン プゥタンピン】良い男は兵隊にならないというお国柄で、日本の『花は、桜。人は、武士』とは異なるお国柄です。

 70年前この種のパレードを毛沢東首相が実施した時には、住民は『ヲーメンデフェーチーライラ』;「我々の飛行機が飛んで来た!」と『狂喜乱舞』した。不肖山本は、70年前の、この時、避難民として中国にいた。

 統裁する『習近平首相』中国の純国産高級車『紅旗』に乗って表れた。何とこのお車の型式形状は、式典に参加予定で、体調を崩し、参加を中止した村山元総理大臣が現役であった頃と同一であった。、これ以降、何の変化も見られず、そのお値段が、何と1億5千万円だとテレビで、おもちゃのミニカー・モデルと共に報道された。国営工業の非能率ぶりは、驚きであった。

そして、習近平主席が、『紅旗』上で、左手で『挙手の敬礼』をしたことに、びっくり仰天した。『挙手の敬礼』は、例え、左利きの隊員であっても、右手でするものである。

不肖山本は、『反省と謝罪』大好きな社会党の村山富市総理の頃、中央資料隊技術科で軍用車両の担当していた。この時に、『紅旗』の本〔中国語〕を翻訳したことがあった。村山総理が、中央資料隊に視察来た時の事を思い出した。

 この中国の威信をかけて開発した第一汽車【自動車】の高級車『紅旗』は、今回の軍事パレードに登場した最新兵器と異なり、その後40年間、全然、進歩をしていない。この習近平首相の乗った中国産の高級車『紅旗』には、万一、故障して動かなくなった場合に備えて、空の予備車まで準備していた。

 

  この抗日戦争勝利の一糸乱れぬパレードを見て私は、防衛大学学生の時、毎日、毎日、国旗掲揚と朝礼終了後、教場まで。各班ごと、行進したことを思い出した。そして、神宮外苑で実施される、自衛隊中央式典のパレードの予行練習の事を思い出した。授業が終わった後で、桑江良輔大隊指導官〔陸士55期〕の下で、執銃行進予行訓練を日が落ちるまで実施させられたことも思い出した。

 沖縄復帰直後のことである。不肖、山本は、桑江第一混成団長のお供をして、真夏に、米海兵隊司令官交代式に出席したことがあった。司令官交代式には、訓示の後でパレード行進が行われる。その帰りに、団長車の中で、・・・・「山本!『米海兵隊をとう思うか?』と言うご下問があった。山本答えて曰く『精鋭だと思います!』と。理由は、筋骨隆々の海兵隊員と取っ組み合いの喧嘩になったら勝ち目がないと、かねがね思っていたからです。『バカモン!米海兵隊員よりも、お前の方が『精鋭である!この暑いのにお前は、全然汗をかいていない。汗をかくのは弱兵の証拠だ!』と。この歴戦の勇士桑江団長、南方戦線での経験から、汗をかく兵隊は、水をよく飲む、従って『アメーバ赤痢となり、戦力とならなかった』と。

 不肖、山本賢は、満州の荒野で育ったため、日本の小川の水のように、飲むことは出来ない環境で育ったので、水をガブ飲みする習慣がないのである。防衛大での行軍では、隊装検査が終わると、すかさず水筒の水を捨てた。この行為を桑江大隊指導見つけられ怒られた。山本学生曰く『明朝まで、水をのまないから不要ですので、捨てました!』と言った瞬間怒られた。『バカモン!この水筒の水は、お前が飲むための水ではない!お前の部下が飲むための水だと!』と言われた。

 不肖、山本は、満州国のハルピンで生まれ、終戦後、ソ満国境から、命からがら、避難民として引き揚げて来た時のことを思い出して、この中国の抗日戦勝記念軍事パレードを見て思い出した。

日本軍は、『日ソ不可侵条約』を突然破棄したソ連軍に関東軍が敗れたのであり、中国共産党軍の前身の毛沢東主席の率いる『八路軍』【パーロ】第八方面軍『国共合作軍に敗れたわけでありません。この八路軍は、日本軍を見つけると即、『三十六計逃げるに如かず』とばかり、『雲散霧消』するのであった。また人民から物品を強奪することで有名な部隊でもあった。そして毛沢東は、針一本でも人民から盗むなと命令するように成りました。

 

毛沢東軍は、日本の陸軍士官学校で学び、二等兵で高田連隊に隊付き教育を受けた経験のある、蒋介石軍とも戦っていたのである。この戦いに『馬賊』と『匪賊』が加わった。、まさに四ッ巴の戦争です。関東軍が、ソ連軍に武装解除された途端、治安が悪化した。元もと、中国は、治安が悪く、関東軍と満州国警察の力で治安が保たれていた。『苛斂誅求』の政治である。

 不肖、山本賢が鉄嶺の満人尋常小学校に登校する際には、警察処の前にある『さらし首』が展示されていた。『一罰百戒』の戒めである。上級生の命令一下、このさらし首に石をぶつけて登校したものだった。この警察署の隣には、大きな『阿片窟』があった。この満州国の満人警察処長は、汚職と武器の横流しで、警察所の牢屋に入れられ、日本人の副所長が指揮を取っていた。当時は、国府軍と八路軍と馬賊や匪賊が『群雄割拠』の状態であった。この中国の汚職腐敗体質、’戦後70年、中国の共産党の中で蔓延し、未だ健在である。

旧日本軍の兵士の中には、生活の為進んで国府軍に入った者も大勢いたし、無論八路軍に入った者もいた。

中には、少年兵になった者もいた。源川特務曹長のご自慢の息子さんは、毛沢東の腹心の部下の周恩来副首相の少年兵(伝令)となった。何と、この少年、後ほど、防大#1生となり、7師団長をしていた。私が、日高弾薬支処長をしていた頃、源川さんは、精鋭第7師団長弾薬補給をしていた。仮に、防大#1期の源川さんが、周恩来副首相要請に応じて中国の解放軍人民解放軍に残っていれば、多分人民解放軍の総司令官になつたに相違ない。

作家・山崎豊子のデストセラーの『大地の子』の隆一心は、源川さんになっていたかも知れません。主人公、細部については、山本賢の『孫子の兵法』【中国語・日本語・英語】版;Even

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