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英語de軍事『四字熟語』Vol.22

JMASのバッチとグローブ&アンカーのバツチ付けて

こんにちは、山本賢です        

◎ 『五輪エンブレム』と『JMASのマーク』

最近、東京オリンピック大会のロゴマークが、華々しく、鳴り物入りで一般公開された。この直後のことである。ベルキーの某デザイナーから、『東京オリンピック大会のロゴマーク』は、我社のエンブレムの盗作だとクレームが付いた。見比べてみると、瓜二つの部分がある。パックタと言われても申し訳出来ない。少々ウカツであった。

不肖、山本は、10年前、㈱特許デイターセンターやJAPIO〔特許庁〕の軍事特許の翻訳をし、抄録作りのお仕事をしていた。これは、軍事特許が、『誤って』若しくは『故意に』提出・認可されないようにする為のものである。国連で『対人地雷禁止条約』可決した途端に、この条約をかいくぐる為の『地雷製造特許』が出てきた。、

一方、国会では、『安保論争』で、『邦人救助』問題で、邦人が乗艦している、アメリカの艦船が、攻撃を受けた際に、海上自衛隊がこれを防護する為の攻撃が日本国憲法で許されるか、否かの論戦が繰り広がれている。戦後、70年を記念して安倍晋三総理には,『安保関連法案』を可決して欲しいと心より思っております。

不肖、山本は、満州国のハルピンで生まれ、終戦後、ソ満国境から、命からがら、避難民として引き揚げて来た者であり、この『邦人救助』の法律は、『戦後70年の節目に当たり』是非、参議院でも可決して、戴きたいと心より思っています。 思い起こせば、70年前、命からがら、囚人部隊を最前線に立て侵攻するソ連軍〔督戦隊に指揮された囚人部隊〕、軍規なき国府軍〔蒋介石軍〕と八路軍〔毛沢東の率いる中共軍〕の間を、『右往左往』中国大陸を、命からがら逃げ回って、やっとのことで大連港より帰国した『避難民』引揚経験者でしか、邦人救出の深刻性について、分かっていただけない問題であると思っております。 当時、満州国は、『王道楽土』と『五族共和』を合言葉とし、治安は、関東軍によって確保されていた。この関東軍がソ連軍により武装解除された途端、無政府状態となり、馬賊や匪賊が『横行跋扈』するように相成った。ソ連軍の略奪と八路軍と国府軍内戦と『馬賊と匪賊』の三つ巴の戦いであった。

不肖山本賢は、沖縄復帰直後、沖縄の第一混成団に勤務したことがある。職務は、特別不発弾処理隊の副隊長と、桑江団長の通訳である。副隊長と渉外幹部の兼務である。 米軍の将兵からは、『お前は、副隊長と通訳業務を兼務している。さぞかし、沢山の給与をもらっているに相違ない・・・・・・・』と言われていた。その実、反対に、支給されるお金が減ってしまうのである。 山本賢、答えて曰く『陸上自衛隊の規則では、危険な不発弾処理を実施した場合には、危険手当・8千五百円と旅費手当て千円の合計、一日あたり、9千五百円が出ますが、団長の通訳を実施したりしたが、一切お手当てが付きません。従って、仕事を『一生懸命』にすると減俸です。 この時、特別不発弾処理隊と米海兵隊の不発弾処理隊の交換教育をすることが、日米両方の現場から持ち上がった。 米海兵隊の二度に渡る不発弾処理事故の対策を取る必要性があった。立て続けに不発弾処理事故が起きたのである。1回は、『即死2名、重軽傷者4名の大事故』が起きた。 自衛隊の不発弾処理隊側には、アメリカから購入した遠隔操作で火薬の叱らで爆弾の信管を外す『リモート・レンチ』の使用方法を、海兵隊の不発弾処理隊員から習う必要があった。YS『Yama Sakura』共同訓練が始まる前のことである。 もともと陸上自衛隊の不発弾処理技術は、米軍から教えてもらったものであり、陸上自衛隊が米軍に教える技術は、何も無かった。 そこで、当時、全学連『赤軍派』等の日本の頭脳の粋を集めて作成された『料理の本』;〔私製爆発の製造方法のマニュアル〕警察庁が押収したものを英訳して教範として教育することになった。同時に、沖縄復帰直前、中国化薬KKに一年間研修に行った際に、取得した火薬類製造保安責任者や火薬類取扱者の知識を活かして、火薬類取扱安全管理を実施した。これを『自画自賛』という。

そして、不肖山本は、沖縄での勤務を下番することになった。瑞慶覧にある在沖米海兵隊司令部のG-2/3部長にご挨拶に行った。G-2/3の事務室には、毎週、不発弾爆破処理場の使用申請作業に訪れていた場所である。 この時、G-2/3部長から、『メジャー山本からは、大変お世話になった』と言って、机の引き出しから、星条旗と『グローブ&アンカー』(地球儀と錨)のバッチを取り出し、記念品だと言って、私にくれた。そして、この時、こんなことを言った『山本少佐が、日本を離れて、治安の悪い外国に行って災難に遭遇した際、このバッチを着けている限り、海兵隊員は、米国国民と同等に貴官を助けます』と。 このようなことで、カンボジアでJMASを立ち上げる際、この海兵隊のバッチを『自衛隊の不発弾処理技能章』バッチと『陸上自衛隊が初めてカンボジアで国際貢献』した時、自衛隊が制作したバジを身につけてカンボジアに赴任した。この国際貢献バッジは、隊員の餅つき代金;四万円也を寄付した際に頂いたものである。当時、カンボジアにいた石本由美さん〔日本大使館勤務〕から、お餅を美味しく頂きましたと言われて、とても嬉しかった。

USMC emblem Eagle Globe and Anchor

JMASを立ち上げた土井義尚さんから作業指示のE-mailが来た。東京都にNGO申請するから、『ロゴマーク』を大至急作れ!期間は、1週間以内!と。 不肖、山本は、愛知県の新城高校では、柔道部と化学部と絵画部に所属していた。絵画部では、アルバイトとして絵画の先生の指導を受けてネクタイのデザインのアルバイトなぞをしたこともがあった。この時、絵画部の先生から、何が『盗作』であり、そうでないかを厳しく指導をうけた。この様なこともあり、喜んで『ロゴマーク』の製作に当たった。 すかさず、迷うことなく、大好きな米海兵隊のロゴマークの『グローブ&アンカー』を利用することにした。錨の代わりに『地雷』しようかとも思ったが、多くの地雷除去NGOやカンボジアのCMACも『対人地雷』の図を取り入れているので、ありふれているので止めた。そして、沖縄で、海兵隊員と共に不発弾処理をしたことを思い出し、不肖山本の大好きな、海兵隊の徽章USMC emblem Eagle Globe and Anchorの図案を参考とした。Eagleの代わりのJMAS、Anchorの代わりに『迫撃砲弾』とした。そして、米国がかつて日本を含め諸外国に支援物資を送る際に使用していた『ロゴマーク』の握手の図案、発展途上国の人々共に手を携えて行こうとの図案にJMASの略語を加えた図案を東京にいる土井さんのところにE-mailで伝送した。 土井さんからすぐに、返事が来た。JMASは、Jが赤字で『日の丸』を表し、握手は『合掌』とする。流石、永平寺の僧侶、『面目躍如』のJMASであった。そしてブルーの字でEODと一番下に書かれていた。つまり、とりあえずは、4~5名の少ない人員で実施することの出来るEOD Explosive Ordinance Disposal ;不発弾処理で行くと。

このJMASのロゴマークが出来上がった半年後のことである。アメリカ合衆国のブッシュ大統領が『Marine Corps One ; 大統領海兵隊専用ヘリ』に搭乗する際、在沖海兵隊のG‐2/3部長に頂いた海兵隊バッチを付けていいたのを宿泊していたホテルのTVを見て、単細胞の山本は、感激し、嬉しさ一杯であった。〔山本賢の左胸のバッチ〕をブッシュ大統領が付けていたのである。そして、沖縄の瑞慶覧の在沖海兵隊G-2/3部長の『山本少佐、このバッチを着けている限り、”Once a marine, always marine”,『同じ釜の飯食った仲間』として、あなたを助けます」と。

このロゴマークを制作し使用して十余年、未だかって、米海兵隊の徽章をパクッタと言われたことはない。このJMASのロゴマーク制作中に『ピース・ボード』の隊員の方から、迫撃砲弾の弾頭の先が『ソ連のモスコーに向かっている』との思いもよらぬ指摘があって、即修正をして『迫撃砲弾』の図案を大きくした。

 

覚えておこう『四字熟語』:

一生懸命  【 いつしょうけんめい 】 Original meaning is “To defending the land where allocated from my lord from enemy attack with

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