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英語de軍事『四字熟語』 Vol.20

こんにちは、山本賢です。

         

     ◎ 仰天動地の週刊誌の記事;『ガス弾の安全化処理』   

                    

先日、近くの図書館で、なんとなく週間誌を手にして、パラパラとページをめくり、どの記事を読もうかなと思った時、『おや?、これは、!・・・・・・』と衝撃を受けた記事に遭遇した。

この衝撃を受けた週間誌とは、SAPIOの3月号である。中国の『遺棄化学兵器処理事業を即刻中止せよ!』と言う内容の記事であった。旧日本軍が化学兵器を「遺棄した事実は、ない!・・・・・』と。中国に1兆円超を毟り取られていると書いてあった。 まさに、その通りである。単細胞の不肖山本賢は、この記事を見て、さすが、超一流のジャナリストの水間政憲さんの書いた記事であり、ジャーナリストとは言え、よくぞ専門外のことを水間政憲が調べ上げてて書いたたものだと痛く感動した。そしてPCIに2億9800万円の不適切使用・・・・とも書いてあった。パシフィック・コンサルタント・インターナショナル株式の不正資金使用まで書いてあった。おや!まあ!私の大好きなPCIのことも書いてある。興味津津であった。

話は、15年前の陸上自衛隊武器学校の教育部弾薬科長をしていた時のことである。かって、沖縄復帰時に共に、沖縄で不発弾処理をした部下の近藤さんから電話が掛かって来た。この時、ふと那覇空港の敷地内で滑走路の脇の爆弾を、航空機の離着陸しない、早朝を選んで爆破処理をしたことを、思いだした。

「科長、一つお願いがあります。来週、4~5時間程度、不発弾処理のお話を外務省の課長にして頂きたい・・・但し極秘で・・・」という内容であった。

不肖、山本賢は、快く承諾したものの『他言無用』極秘裏でと言う条件に苦慮することに相成った。通常、自衛隊の部隊や駐屯地では、外務省等の他の省の課長以上の訪問を受ける際には、その旨を上司に報告し許可を取ることになっている。しかし、近藤さんからは、『絶対に内緒で、極秘で』と言う条件が付けられていていた。でも武器学校の規則でも、この様な場合には報告することが義務付けられていた。そして、校長と訪問者が懇談することになっていた。これを表敬訪問と言う。この際に、『予科練の記念館』で販売している『ネクタイ・ピン』や『手ぬぐい』や『ボール・ペン』といったチョットした記念品を送ることが常識となっていた。

山本は、迷いに迷った末、安達副校長と郷原武器学校長の所に、『かくかくしがじか・・・・・』と報告に行った。

安達副校長は、かっての第二代目の特別不発弾処理隊長を努めた方であもり、その時、近藤さんは処理班長で私は副隊長であった。この防大#2期の安達さん、自衛隊のエリートで長らく『外務省に出向していた』こともあり、『山本科長、致されないようにしなさい』と助言を受けた。

郷原校長の所に行った。開口一番、『聞かなかったことにして下さい!外務省の校長が不発弾処理の事で武器学校に来ます。本来であれば、武器学校長に表敬訪問するところですが、連れてきません・・・・』と報告した。

防大#3期の機甲科職種の郷原校長曰く『俺は、30年近く自衛隊勤務して来たが『聞かなかったことにして下さいと言った状況報告を受けたのは、お前が初めてだ、「前代未聞」の報告であると。

一週間後、近藤さんと甲元(化学職種)さんが随行して、外務省の課長が弾薬科に来た。なんと、一般の面会手続きをとって弾薬科長室に来たのである。

開口一番、外務省の課長曰く『旧日本軍が遺棄した化学砲弾を日本が処理することになりました。この事業の事前現地偵察行く為の事前教育を受けに、弾薬科長の私に個人的に会いに来たとのことであった。

不肖山本は、満州国、国龍江省の『ハルピン』の奉天街で生まれた。その後、ソ満国境の小さな村で終戦を迎えた。満州国の『鉄嶺』で、怒涛の如く攻め入って来た。怒涛の如く攻めて来た、ソ連兵〔囚人兵〕から腕時計を強奪された経験もこれあり、『満州に展開していた関東軍の武器・弾薬及び衣服や携行糧食の全ては、ソ連に武装解除され略奪されたのであり、断じて日本軍ではなく、ソ連軍が遺棄したといった。ソ連軍は、日本軍から略奪した武器・弾薬や陸軍の隊舎のカーテンの柱や天井の梁までノコギリで切り取り、シベリア鉄道を使用して持ち帰ったのですと。終戦間近に怒涛の如く押し寄せた、ソ軍は、8月15日の終戦後も攻めてきて、ミゾリーゴウ号で調印する9月まで攻め、日本軍の武器・弾薬等を略奪したのである。無論、この間、蒋介石軍と八路軍〔毛沢東〕も死闘を繰り返しており、日本の武器弾薬をろ獲していた。我々日本人達は、小高いなだらかな丘の上から、両軍の戦闘を高みの見学をしていた。

ソ連の兵隊は、日本人から強奪した腕時計を5~6個を腕にハメるも、リュウズ〔竜頭〕を巻くことを知らず、時計が止まると捨てたソ連兵も大勢いた。化学弾もこれと同じで、ソ連の火砲の口径と薬室に合わないと判明するや否や、遺棄したのです、と何度も繰り返し説明するも、聞く耳を持たなかった。チャイナー・スクールの優等生である外務省の課長には、定年まじかのポンコツ自衛官の意見を聞く耳を持たなかった。

そして、ガスマスク(旧軍名称;防毒面)は、何処の国のものが良いのでしょうか?とのご下問もあった、山本即座に曰く『自衛隊の装備品のガスマスクを持って行きなさいと助言するものの、中国側は自衛隊の防護マスクは「武器」であるので、持ち込みは断固禁止するとのことであった。そして、市販されているスエーデン製のガスマスクを金6万円を叩いて携行することに相成った。

この事件の直前のことである。武器補給処の田中弾薬部長から、電話が掛かって来た。『弾薬部で保管して来た、旧軍の弾薬製造図面を処分することに相成った。弾薬科長、学生の不発弾処理教育にも使用できる図面が多々ある、是非、利用して頂きたい。不要なものは、そちらで処分してくれ』と。そしてこの図面をもらうことにした。弾薬科の坂本助教に取りに行かせた。何とトラックいっぱいの資料であった。頭脳明晰な、防大#4の田中和正さんにヤラレタ。大量のゴミ処分をやらされたのである。

このトラック一杯の焼却予定の旧軍弾薬製造図面の中に、『化学弾の製造図面』が含まれているのでは、と思い、弾薬科の教官助教全員で、ガス弾を選びだして保管することにした。そして、ガス弾の図面だけを残して、他は、全て年末の大掃除の際に、不発弾処理訓練場で1日がかりで焼却した。

それからしばらくして、「自衛隊の防護マスクが武器等の装備品から外された!」と満面笑みを浮かべて野中官房長官が記者会見した。

郷原武器学校長も安達副校長も山本弾薬科長も定年を迎えることになった。郷原さんは『日本油脂』に、安達さんは『トヨタ』に、山本は『昭和金属工業』に就職した。

日本油脂とは、砲弾や銃弾の発射薬等を製造する会社で、私の勤務する昭和金属工業の親会社でもある。そして、中国の化学弾の危険性見積と『ヒ素』の危険性について調査・研究のお仕事を入札し、下請の昭和金属工業に丸投げして来た。その金額、研究費¥1200万円也。このお仕事、新入社員社員の松永さんにお願いした。研究するまでもなく『結論は出ている』と。その資料は、武器学校の弾薬科に有りと。お仕事ノウハウを伝授した。

この直後のことである、不肖山本は、JICAの長期専門家としてCMACカンボジア地雷除去活動センターに勤務することになった。事前教育時に、JICAの松田さんに『何故JICAが取り仕切って中国の化学弾処理を実施しないのですか?とかって、カンボジア王国でテニスをしたことのある松田さんに質問をしたところ、『JICAは危険なことは一切致しません!』との回答が帰って来た。ナルホド。そして、この化学弾処理事業は、中国指導で始まった。汚職体質の中国の指導も下に遺棄化学弾の処理費が鰻登りに膨らみ、日本国政府が支払うことになったのです。

程なくして、弾薬大手メーカのコマツも、SAPIOの記事紹介されたJICAの美味しいお仕事でに参入して事故を起こしたPCIもこの事業に参入したのです。そして、何と、当初のと異なり、現在では『陸上自衛隊』もこの事業に参加しているのである。

自衛隊の御用雑誌MAMORUの2月号には、世界の現場からと題して『老朽化した化学弾などを発掘・回収するに当たり、実際に有毒化学剤の存在の有無を検知すると言う価値ある貴重な体験が出来ましたと、第10特殊武器防護隊の富田啓介一等陸曹が述べている。ふとこの時、中国空軍は、日本人捕虜達創ったことを思い出した。毛沢東主席や解放軍兵士達が『ウオーメンデ フェチー ライラ! フェーチ ライラ!』〔我々の飛行機が飛んできた!飛行機が飛んできた!〕と狂喜乱舞した。詳しくは『山本賢の『孫子の兵法』〔中国語・日本語・英語〕版 ー Even monkey can understand Mr. YAMAMOTO’s  Sun Tzu’s The Art of War の608ページを参照。(財)自衛隊援護協会。

山本賢の孫子の兵法は、良い本です。『自画自賛』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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